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世界遺産登録による県勢活性化調査  ―中間報告―

III.「紀伊山地の霊場と参詣道」と類似した世界遺産の現況

1.世界における類似例の調査研究 〜「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」について〜

現状登録されている世界遺産の中で、「紀伊山地の霊場と参詣道」と類似したものを抽出し、現地調査等により研究を行い、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された場合の県勢活性化についての予測や課題等について検証することとする。

類似例としては、「紀伊山地の霊場と参詣道」と同様に、宗教的背景を持つ巡礼の道として広範囲に世界遺産に登録されているスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を取り上げることとする。

「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に関する世界遺産としては、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とその聖地として世界遺産に登録されている「サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)」および同じくフランス側の巡礼路となる世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」がある。

(1)「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とは

「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とは、キリスト教12使徒の一人である聖ヤコブ(スペイン語名サンティアゴ)の墓が9世紀初頭、スペイン北西部サンティアゴ・デ・コンポステーラで発見され、それ以来、ローマ、エルサレムと並び、このサンティアゴがヨーロッパ三大巡礼地の一つとして崇められ、キリスト教信者の心の拠り所となった。発見当時、イベリア半島の大半はイスラム勢力に占拠されていたため、この発見はキリスト教勢力のレコンキスタ(国土回復運動)の広がりを促す契機ともなり、巡礼路は目覚しい発展を遂げた。中世にはヨーロッパ各地から年間50万人もの人が徒歩や馬車でピレネー山脈を越え、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したと言われている。巡礼者は、通行手形や巡礼証明書を持ち、巡礼のシンボルともなっている帆立貝の貝殻を提げ、水筒や杖を携えて、さまざまな思いを胸に、辛く苦しく長い巡礼の道をまさに命がけで旅したのである。サンティアゴ・デ・コンポステーラを日本語に訳せば「星の野原の聖ヤコブ」ということになる。日本の熊野古道では、列をなして連なるその参詣の様子を「蟻の熊野詣で」と称したが、スペインやフランスでは、天の川のことを「聖ヤコブの道」と呼んでおり、星の数ほどの巡礼者達が、この巡礼路をサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう様子を現在に伝えている。

スペイン内には巡礼ルートが何本かあるが、「フランスの道」と呼ばれる世界遺産に登録されている本ルートはスペイン北部内陸を通っており、その道程はスペイン国内だけでも約800kmにも及んでいる。このルートのほかにもカンタブリア海沿いを通る「北ルート」やスペイン南部からのルートとなる「銀の道」、船でやってきた巡礼者が通ったといわれる「海の道」(現地ガイドはこのように呼んでいた)など巡礼のサブルートにあたるものが数本ある。これらの街道沿いには巡礼者のための宿泊施設としても使われた修道院、教会、病院などが多数点在し、その時代の文化、芸術、歴史の足跡を色濃く残し、現在では歴史街道として、日本の熊野古道とも姉妹道提携が結ばれている。

図3-1 世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(スペイン・フランス)

「サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)」は1985年に世界遺産に登録され、スペイン内にある「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は、その巡礼路と巡礼路が通過する166の市町村に点在する1800を越す歴史的建造物が1993年に世界遺産に登録されたものである。

また、フランスには4本の巡礼路があり、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として、1998年に世界遺産登録がなされている。その4本の巡礼路とは、パリのサン・ジャック(聖ヤコブのフランス語名)の塔(かつては巡礼路の起点にふさわしいサン・ジャック・ラ・ブシュリ聖堂があったが、フランス革命により破壊され、今ではこの塔のみが残っている)を起点とする「トゥールの道」、フランス中部ブルゴーニュ地方のヴェズレーにあるサント・マドレーヌ聖堂を起点とする「リモージュの道」、ル・ピュイ・アン・ヴレイを起点とする「ル・ピュイの道」、フランス南部プロヴァンス地方アルルのサン・トロフィーム聖堂やサン・ジル・デュ・ガール聖堂を起点とする「トゥールーズの道」である。

(2)「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」現地調査について

世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に登録されている「フランスの道」は、フランスからスペインに向かって、ピレネー山脈を2つの峠から越え、プエンテ・ラ・レイナ、またはブルゴスの町で合流し、スペイン北部内陸を通り、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指すルートとなっている。

今回の現地調査は、主にスペイン内の世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に登録されている「フランスの道」とそのサブルートおよびその沿線についての調査を中心に実施した。現地調査ルートについては、スペインにおいて図3-2のように当初ビルバオから海岸線を通る「北ルート」をバスでたどり、オビエドから「海の道」を経由して、レオンの町で本ルートの「フランスの道」に合流後、巡礼の目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し、さらにスペイン西端の聖地であるフィステラ岬からリアス式海岸を通り、バヨナの町を訪れた。その後は、ヴィーゴからマドリードを経由し、フランスの首都パリに入り、4本ある「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」のうちの1本である「トゥールの道」の起点であるサン・ジャックの塔の視察を行った。

前述のように、スペイン北部沿岸を通る「北ルート」は、その道自体が世界遺産の対象となっているわけではなく、巡礼のサブルートの1つとして存在したものである。しかし、「北ルート」の近郊にはアルタミラ洞窟やアストゥリアス建築などの世界遺産があり、海の幸も豊富であるため、スペイン政府は巡礼路を2回3回と訪れるリピーターの観光需要をみこんで、このルートの整備を進めているということであり、その状況についても併せて調査を行うベく、図3-2の現地調査ルートを設定した。

図3-2 スペイン国内の巡礼路の一部と現地調査ルート

(3)現地調査結果
 (1)ビルバオ市
ビルバオ市街の歩道

現地調査を開始するため、空港のあるスペイン北部の工業都市ビルバオ市へパリ経由で入った。ビルバオ市にはビジネス客が多く訪れるためEU各国からコミュータ機が運行されている。人口約38万人の都市に空港があり、まさに電車やバス感覚で飛行機が使用されている。ビルバオ市内は物価も高くなく、歩道の整備された、落ち着きのあるきれいな町であり、美術館等もあるため、ビジネス以外でもゆっくり滞在できる町となっている。

 (2)サンティジャーナ・デル・マール
サンティジャーナ・デル・マールにあるレストラン

サンティジャーナ・デル・マールの町は、北スペインで最も美しい町と呼ばれ、石畳と古い石造りの家が並んでいる。この町では一般車両の乗り入れを禁止しており、観光客は駐車場に車やバスを停め、徒歩で町中を散策するようになっている。遺跡内の古い建物を利用して、役場やホテル、レストラン、商店等が営業をしており、派手さはないが町全体に統一感が感じられる。教会への入場料は2.50ユーロ(約300円)となっており、説明は現地ガイド以外行えないことになっている。

 (3)アルタミラII

1868年に発見されたアルタミラ洞窟は、1985年に世界遺産に登録となったが、その保護のために現在は封印されている。しかし、その人気は高く、鑑賞希望者が後を絶たないため、アルタミラ洞窟のレプリカを作成し、公開しているのがアルタミラII(博物館)である。 館内は自然の洞窟を巧みに利用しながら精巧なレプリカが作成されている。見学方法は、アルタミラIIの専属ガイドによる説明を受けながら見学するという形式になっており、見学者にレベルの高い詳細な説明を行うと同時に、地元での雇用創出に役立つ手法がとられている。現地ガイドの説明によれば、アルタミラIIの建設に対してはユネスコの補助金等はなく、カンタブリア州とマドリッドの博物館が資金を提供している。スペインでは多くの世界遺産を保有しているため、世界遺産の登録を受けても、その処遇は国立公園と何ら変わらないものであるということである。また、アルタミラ洞窟が公開されていた当時の旧博物館の建物は有効利用され、カンタブリア地域の植物を集めた植物館として4年後のオープンを目指している。

アルタミラIIの全景

 (4)カンガス・デ・オニス
パラドール内にある教会

現地調査における宿泊には、スペイン政府の全額出資により運営されているホテルチェーンであるパラドールを多用した。パラドールは、歴史的価値のある建物等を宿泊施設として使用することにより、収益を確保しながら、崩壊寸前にあったそれらの管理保存にも貢献するものとなっている。1928年から営業をはじめたパラドールは、スペイン全土で86箇所(2003年3月現在)ある。パラドールに来れば中世への旅もできるということで、利用者の評判は非常に良く、パラドールの運営に対するスペイン政府の目論みは成功を収めていると考えられる。

ケルト人が多く移り住んだカンガス・デ・オニスの町で宿泊したパラドールは、元修道院を改装したものである。宿泊棟やレストランは新築され、快適な宿泊が可能となっているが、ロビーなどは修道院の建物をそのまま利用しており、ホテル内の回廊はさながら博物館といえるものである。また、ホテル内にある教会は当時の姿のままで使用されており、現在も村人のためにミサが行われている。

 (5)コバドンガ
コバドンガのカテドラル(大聖堂)

コバドンガは、レコンキスタ(国土回復運動)発祥の地とされ、スペインの英雄・アストゥリアス王国の初代王であるペラヨ王の墓を擁している。ペラヨ王の墓はレコンキスタの砦となった洞窟の中にあり、聖なる場所として写真撮影は禁止されている。ここには崖の上に建つ大きなカテドラル(大聖堂)や宿泊施設があり、夏場にはペラヨ王の墓に参墓する人々で賑わい、カテドラルでは1日に3回もミサが行われている。

 (6)オビエド

アストゥリアス地方の中心となるオビエド市には、その近郊のナランコ山に世界遺産となっている2つの聖堂がある。これらの聖堂は9世紀に建築されたもので、王の住まいともなったサンタ・マリア・デル・ナランコ教会とサン・ミゲル・デ・リーリョ教会である。これら2つの教会は、後のスペイン聖堂建築に大きな影響を与えた独特のプレ・ロマネスク建築様式となっている。民家の間を通り抜け、細い山道を上っていく行程は、熊野古道への導入路を彷彿とさせるものが感じられる。付近一帯は整備され、老人ホームや遊歩道が作られている。また、夜はライトアップもされるため、市民の憩いの場所として親しまれている。これらの建築物は何れも規模は小さく、発掘調査前には家畜小屋等に使用されていたが、修復工事が行われ世界遺産への登録がなされたものである。木の建物であれば、長い歴史の中で取り壊しや建て直しが行われたとも考えられるが、石の建物であるがゆえに、現在にまで当時の姿を残すことが可能となったものである。見学のシステムは、入場料を支払うと聖堂内に入る鍵を現地ガイドに渡すシステムとなっている。

サンタ・マリア・デル・ナランコ教会
サンタ・マリア・デル・ナランコ教会
教会へ向かう道
教会へ向かう道
サン・ミゲル・デ・リーリョ教会
サン・ミゲル・デ・リーリョ教会
オビエドのカテドラル(大聖堂)

オビエド市街では、船でやってきた巡礼者が内陸部を通る「フランスの道」との合流を目指して歩き出す「海の道」の出発点となるフランボワイヤン・ゴシック様式の大聖堂や旧市街の散策ができる。大聖堂の祭壇はスペインの教会で3本の指に入ると言われている荘厳なものである。現在、旧市街の82%は歩行者天国となっており、その路上には巡礼路を示す帆立貝の紋章が埋め込まれている。オビエドの旧市街には全部で36個の帆立貝の紋章が埋め込まれているようである。

オビエドからは沿岸部を離れ、内陸部の「フランスの道」との合流地点であるレオンの町を目指すことになるため、その沿道の風景は一変し、沿岸部の緑色から大麦・小麦・とうもろこし畑などを基調色とする土色の平原へと変わる。

帆立貝の紋章

 (7)レオン
騎士団の館を改装したパラドール「サン・マルコス」

レオンは、金鉱山を守るために騎士団が作った町であり、王国の都でもあった町である。人気のある宿泊施設としては、かつてのサンティアゴ騎士団の館を改装した5つ星のパラドール「サン・マルコス」がある。このパラドールには教会や博物館があり、2階の回廊や聖歌隊席なども良く保存されている。また、パラドールの横にはベルネズガ川が流れ、そこに架かるローマ橋のたもとにも巡礼路を示す帆立貝の道標や黄色の矢印を確認することができる。

巡礼路に架かるローマ橋 巡礼路を示す帆立貝の道標と矢印 パラドール前の巡礼者像

レオンのカテドラルは、最も美しい尖頭をもつ建築物の1つに数えられている。またその装飾では、目を見張る程美しい152枚のステンドグラスや、巡礼姿の聖ヤコブの彫刻もみることができる。

レオン市街では、美しいロマネスク様式の天井画が残るサン・イシドロ教会や名士グズマン一家が住んでいた壮麗でエレガントなグズマン・パレス(現在は市議会の建物)、その隣にはアントニオ・ガウディの建築によるボティンビル(現在は金融機関)等の建造物を見ることができる。

美しい尖頭を持つレオンのカテドラル カテドラルのステンドグラス
修復中のサン・ミゲル・デ・エスカラーダ教会

また、レオンから30kmの郊外には、913年に建てられた数少ないモサラベ様式のサン・ミゲル・デ・エスカラーダ教会がある。この教会は国の重要文化財で、5年位前から観光用として公開されはじめたものであり、現在も修復工事が進められている。修復費用については、32万ユーロ(約4,000万円)近い金額であるが、スペイン政府から州に予算が配布されている。ここでは、蹄鉄状のアーチや石の窓(アラバスター)を見ることができ、現地ガイドを同行させることにより歴史的・宗教的背景やその価値について詳細な説明を受けることができる。また、この教会のモサラベ様式がゲルマン民族調であることから、ここを訪れる観光客はドイツ人が多く、国際的な観光の場ともなっている。

 (8)アストルガ
ガウディ作の司教館(巡礼路博物館)

レオンから巡礼路「フランスの道」をたどると、かつて交通の要所であったアストルガの町を通過することになる。ここには、ローマ時代(1〜2世紀)に造られた町の外壁が残っているほか、何世紀にも渡って建築が行われ、建築様式が織り交ざったカテドラルやアントニオ・ガウディ作の司教館(現在は巡礼路博物館)がある。

 (9)ルーゴ

アストルガから巡礼路の最後の難所といわれるセブレイロ峠を越した後、「フランスの道」から少し外れるとルーゴの町がある。ここには、2000年に世界遺産登録となったローマ時代(3世紀頃)の城壁が残っている。見事に保存された城壁は、高さ10〜15m、全長は2.1kmあり、その上を歩いて旧市街を1周することができる。市民はこの城壁をジョギングコースとしても利用しているようである。この城壁は旧市街と新市街を分断しているため、保護規制が強くなる世界遺産登録にあたっては、生活の利便性が悪くなるとして登録に反対する住民と、観光促進面から登録を推進したい行政側とで対立があった。城壁の数箇所では補修作業が継続して行われているが、城壁と旧市街の民家はほぼ隣接しており、城壁を家の壁の代用として建てられた民家も散見される。これらの民家を改修する場合は、世界遺産保護のための規制の対象となるであろうことを考えると、今後も多くの課題を残しているのではないかと考えられる。

ルーゴの城壁と新市街の道路 ルーゴの城壁(左側が新市街、右側が旧市街)
 (10)サンティアゴ・デ・コンポステーラ

歓喜の丘(モンテ・ド・ゴソ)にある巡礼者像とカトリックの祈念碑、および巡礼路の矢印

巡礼の最終目的地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの約5km手前には歓喜の丘(モンテ・ド・ゴソ)がある。巡礼者たちはこの丘からカテドラルの尖塔を臨んだ後、ここにある救護所で体を清めて市街地に入っていったといわれている。調査当日の天候は小雨であり霧も出ていたため、カテドラルの尖塔を確認することはできなかったが、巡礼の最終目的地に向かって歩くための黄色の矢印を確認することができた。

サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルと旧市街遠景

サンティアゴ・デ・コンポステーラの市街にはオブラドイロ広場を四方から囲むようにカテドラル、パラドール、州政府と市庁舎、大学の学生本部がある。カテドラルでは栄光の門をくぐり、柱の聖ヤコブ像に手を触れて挨拶をすることが作法となっている。さらに歩を進めると、きらびやかな装飾が施された金色に輝く祭壇が目に入ってくる。祭壇の後ろには、聖ヤコブの像と棺に通じる入り口があり、その入り口から階段を上り、巡礼者はまず聖ヤコブの像に後ろから抱きつき、その後階段を下りて聖ヤコブの棺にお参りすることが慣わしとなっている。

カテドラル(大聖堂)正面 栄光の門の聖ヤコブ像 聖ヤコブ像を後ろから抱きしめる
香炉

調査当日のミサでは、かつて長い旅を続けた巡礼者の体臭から空気を浄化するために使用された、「ボタフメイロ」という巨大な香炉を天井から吊り下げて振る儀式が行われた。お香の煙をあげる巨大な香炉が翼廊の端から端まで何度も振り動かされる様はまさに圧巻である。この儀式は、7,000円ほどの料金を支払って依頼すればミサの中で行ってもらえるようになっている。

広場に面したパラドールは4つの中庭を持つ荘厳なつくりであるが、かつて巡礼者のためのサンティアゴで一番安い宿泊施設や慈善病院として使用していたものを改装したものである。当時、ここでは先着数名は3食付で無料宿泊ができたそうで、現在でも巡礼者であることが証明できる者は手厚い歓迎を受けることができる。旧市街地は古い街並みをそのまま残し、市場には果物や生ハム・チーズ、新鮮な魚介類が並んでいる。また、名物のチーズやケーキを売る土産店やシーフードを中心とするレストランなども古い建物を上手に利用し営業を行っている。

市場の店先 パラドールの中庭の1つ
 (11)フィステラ岬

サンティアゴ・デ・コンポステーラよりさらに約90km西に向かうと「地の果て」を意味する聖地フィステラ岬がある。かつての巡礼者達は、巡礼の旅の完結としてこの地を訪れ、巡礼中に使った物を燃やし、海に捨て、再生の時を迎えたといわれている。この地は、三方の眼下に大西洋が広がり、巡礼の旅を続けてこの地に辿り着いた中世の巡礼者達にとっては、まさに「地の果て」を感じさせるものであったであろうと同時に、またそれは「始まり」を予感させるものでもあったのであろうと推察できる景観を有している。

フィステラ岬近くの町 フィステラ岬と大西洋
 (12)バヨナ
バヨナのパラドール

フィステラ岬からノイアを経由し、リアス式海岸と山頂の風力発電の風車を眺めながら南下すると、捕鯨の港があったバヨナ(鯨の意味)の町がある。この町パラドールもかつての要塞を改装したものであり、大砲が港に向かって並んでいる。

 (13)マドリード

スペインの首都マドリードは、イベリア半島の中央に位置している。9世紀後半に建設された砦を起源とするが、歴史的表舞台に登場するのは16世紀半ばにハプスブルク朝スペイン帝国の都となってからである。長い歴史を持つスペインではマドリードは比較的新しい町とも言える。しかし、多くのモニュメントや建築物が現在も使用されており、プラド美術館をはじめとする美術館や博物館、当時の面影を伝える街並みなど観光的要素は十分に備えているといえる。マドリードには美術品も多数集積しており、国立ソフィア王妃芸術センターでは、ピカソの「ゲルニカ」を所蔵している。以前は銃を持った警備兵が防弾ガラスに入った「ゲルニカ」を警備していたようであるが、現在は警備兵も防弾ガラスもなく、ゆっくりと間近に鑑賞ができるようになっている。しかし、マドリードの治安は悪化の一途を辿っており、観光客は身を守るためタクシーを乗り継がねばならず、ゆっくり町中を散策することができない状況となっている。このような状況は、マドリード観光の特徴でもあったマヨール広場やプエルタ・デル・ソルなどの明るい町中の喧騒と庶民的な賑わいを肌で感じるということを困難にしており、今後の観光客誘致においては懸念材料となるのではないかと考えられる。

 (14)パリ
サン・ジャックの塔




フランスの首都パリには、4本ある世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」のうち、「トゥールの道」の出発点であるサン・ジャック(聖ヤコブのフランス語名)の塔がある。この塔がある場所には、かつて巡礼路の起点にふさわしいサン・ジャック・ラ・ブシュリ聖堂があったが、フランス革命により破壊され、今ではゴシック後期フランボワイヤン様式のこの塔のみが残っており、周辺は公園となっている。この塔は、後にパスカルが気圧の実験を行ったことでも知られている。かつて巡礼者達はここに集まった後、セーヌ川を渡り、ノートル・ダム大聖堂のあるシテ島を横切り続くサン・ジャック大通りを抜けて、遥かスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したのである。

サン・ルイ島からシテ島、セーヌ川、サン・ジャックの塔方面を臨む

この他、パリでは世界遺産であるセーヌ河岸の史跡やルーヴル美術館、ノートル・ダム大聖堂などをはじめとして、歴史的建造物やその秀麗さに圧倒させられる景観等が多数ある。また、パリにおいては、地下鉄等の交通網が充実しており、運賃も比較的安く設定されているため、観光におけるコンテンツおよびインフラは十分整っているといえる。

ルーヴル美術館 ノートル・ダム聖堂(正面)

しかし、パリの治安は悪化してきており、観光客(特に日本人)を狙った引ったくりやスリが横行しているようである。パリ市街でも、シャルル・ド・ゴール空港でも、日本人観光客やガイドブックを持った外国人観光客を非常によく見かけ、観光地としてのパリの実力(集客力)を再度認識させられるような状況ではあるが、パリが今後も観光地としての集客を維持してくためには、治安の悪化に対して何らかの対策を講じる必要があるのではないかと考えられる。

 (15)現地調査所見

スペインでは、史跡等を訪問し説明を受けるには、必ず現地ガイドを雇わなければならないことになっている。このシステムは、訪問者に対して史跡に関する一定レベル以上の正確な説明を行い、より深い理解を促すことによって、その史跡を訪問したことの満足感を向上させる狙いがあると思われる。また同時に、このシステムは地元の雇用創出ニーズをも満たすものである。これらのシステムを検証すると、スペインが観光資源を大切に扱いながら、雇用を生み出す産業として観光を重要視していることがうかがえる。少なくともスペインにおいては、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は宗教の道であると同時に、古くからの外貨獲得のための国際的な観光の資源でもあったといえる。その長い国際観光の歴史を考えると、スペインの観光産業は成熟した産業であり、そのシステムにも学ぶべきものが多くあるのではないかと思われる。

「紀伊山地の霊場と参詣道」と世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を比較することを目的としての前述の現地調査では、ヨーロッパの石の文化に対する日本の木の文化、キリスト教を初めとする一神教の文化に対する自然崇拝と神道・仏教等が絡み合う多神教の文化が、海外からの観光客にはどのように写るのかということを常に考えさせられることとなった。また、巡礼路に綺羅星のように多数点在する規模の大きな史跡や、歴史の途中において他の目的に使用されながらも朽ちることなく存在する石の建物・石の文化の力強さを実感させられることとなった。

(4)類似点と相違点

世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の現地調査を踏まえ、「紀伊山地の霊場と参詣道」と比較することにより、両者の類似点や相違点について検証してみることにする。

この検証においては、比較をより簡潔に行えるようにするため、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)」および「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」については比較対象から除外し、対象をスペイン国内の「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」のみに限定して、「紀伊山地の霊場と参詣道」と比較を行うものとする。

両者の概要等を項目別に整理すると次の表のようになる。

表3-1 世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(スペイン)と「紀伊山地の霊場と参詣道」との比較

 i)類似点

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、2004年6月の世界遺産登録を目指して日本政府より推薦状がユネスコに送られたところであり、審査等は今後の対応となるため不確定な要素も含んでいると考えられるが、推薦内容で比較した場合、両者には次のような類似点が見られる。

遺産種別においては、両者ともに文化遺産となり、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は前述の価値基準では(ii)(iv)(vi)に該当するとされている。「紀伊山地の霊場と参詣道」の価値基準の認定は正式な審査が行われた後になるため流動的であるが、推薦内容では記念工作物・建造物群・遺跡(文化的景観)となっているため、ほぼ同様の価値基準が与えられるのではないかと考えられる。

登録規模において、両者はともに長い延べ距離が指定対象となっているところが類似点といえる。文化遺産にあってこの長い延べ距離は特筆すべき特徴であり、両者の類似性をより印象付けるものとなっている。また、遺産に関係する市町村の数が多い点も両者の類似点であるといえる。

構成遺産の内容や特徴については、両者はともに宗教のために行われた巡礼および参詣のための道とその沿線の史跡等が対象となっており、両者はともに中世にその絶頂期を迎えている点では類似性があると考えられ、また、その道中における食事においては、海の幸が期待できるところも類似している。

また、長い歴史の中で、両者にはさまざまな巡礼・参詣ルートが発生し、現在に至っており、世界遺産の対象とはなっていないが趣のあるサブルートともいえる道が存在する点においても両者は類似していると考えられる。

 ii)相違点

登録遺産の範囲においては、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」が歴史的建造物数1,800件超となっており、その数において「紀伊山地の霊場と参詣道」を圧倒している。また、「紀伊山地の霊場と参詣道」が3霊場とそれらを参詣するための複数の参詣ルートが範囲となっているのに対し、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」はそのサブルートは登録範囲に含まれず、1つの聖地に向かうための1本のルートが登録範囲となっている。

自然環境・景観については、「紀伊山地の霊場と参詣道」のその大半が緑深い山岳地域と木造建築物であるのに対し、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」には、難所といわれる峠越えも幾つかはあるが、その大半は赤茶けた平原であり、そこに点在する建造物は石造りである。建造物の素材の違いにより「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の石造りの建造物は、発掘調査の後においては、当時の雰囲気を残しながら修復することが可能であるが、「紀伊山地の霊場と参詣道」の木造の建物については、霊場の建物については修復等が繰り返し行われているため、当時の姿を残しているが、沿道のものはその跡地のみが残るものが多く、歴史を経た質感を残したままで当時の姿に再現することは困難である。

また、その道を辿るための交通手段は「紀伊山地の霊場と参詣道」では徒歩のみとなるが、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」では、平原が多いため徒歩および自転車等でも踏破が可能となっている。また、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」では、自動車道路が巡礼路とほぼ併走しているため、巡礼の雰囲気を楽しみながら自動車やバスを使用して巡礼路の拠点を順に訪問することも可能となっているが、「紀伊山地の霊場と参詣道」では、自動車道を使用して参詣と同様の行程を辿ることは困難であると考えられる。

「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」では、標識・サイン等は「帆立貝」や「黄色の矢印」などによりある程度の統一感がみられ、ガイドや見学システムについても現地ガイドや施設専門ガイドの活用が制度化されているのに対し、「紀伊山地の霊場と参詣道」では特に制度化されたものは見られない。

宿泊施設については、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」では、パラドールをはじめさまざまな巡礼者や観光客のニーズに対応できるような状況となっているのに対し、「紀伊山地の霊場と参詣道」では、各霊場付近では宿坊や温泉等の魅力的な宿泊施設も見られるものの、参詣道全般に渡っては宿泊施設が充実していないため、参詣道を連泊で踏破することは不可能な状況となっている。

構成遺産の特徴について、その歴史的背景や精神世界に踏み込んで特記するならば、「紀伊山地の霊場と参詣道」はその起源を異にする神道・仏教・修験道の3霊場という多神教世界に根ざしているのに対し、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」では、キリスト教の12使途の1人である聖ヤコブの墓に巡礼し、しかもその行為は異教徒との戦いを促す役割も担っていたという一神教世界が広がっており、この相違点は大きな存在であると考えられる。

国際交流については、「紀伊山地の霊場と参詣道」の参詣者のほとんどが日本国内からの参詣であるのに対し、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」では、巡礼開始当初よりヨーロッパ各国から巡礼者が訪れていた。途中巡礼者がほとんどいない時代もあったが、国際交流の歴史は1,000年を越えているということができる。

(5)類似した世界遺産の地域活性化への活用状況

「紀伊山地の霊場と参詣道」の類似例として選定した世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」が地域活性化にどのような効果や影響を与えているのか表3-1を使用して検証してみることにする。

スペインでは史跡等の説明を現地ガイドに限定している。これにより、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を訪問する旅行者も現地ガイドを雇うことになり、旅行者数の増加が地域での雇用者数の増加に繋がる仕組みとなっている。世界遺産を雇用創出のツールとして活用している良い事例であると考えられる。またこの制度により、旅行者はレベルの高い説明や案内を受けることができるため、訪問地への理解が深くなると同時に訪問に対する満足感も高くなると考えられ、旅行者増加に対する相乗効果が期待できるのではないかと考えられる。

旅行者の増加策としては、スペイン政府は「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」のサブルート開発に力を入れている。これは、巡礼路を2回3回と訪れるリピーターの需要を創出することを目的としており、魅力あるサブルートの開発により、今後はリピーターを含む旅行者の増加が期待できると同時に、サブルートの沿線地域の活性化や雇用創出も期待できると考えられる。

また、スペインでは、パラドールという独特の宿泊施設運営により、旅行者の満足と建造物の保護を両立させ、管理経費の節減も行っている。よく管理された歴史的建造物は、今後さらに旅行者を呼び込む魅力ともなると考えられる。これらのパラドール内には地域住民が利用する教会等も含まれているため、地域に必要な建造物の低コストでの管理というメリットだけでなく、地域住民と旅行者の交流にも役立つものと考えられる。

(6)類似した世界遺産の今後の課題

「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に対する懸念材料としては、スペインの都市部で問題となっている治安悪化が地方へも波及するのではかいかということがあげられる。現状この巡礼路の沿線の治安は良く、旅行者に治安面でストレスを与えることはないといえるが、この治安が悪化することになれば、旅行者が離れることが考えられる。巡礼路沿線の都市には工業都市もあり、旅行者減少の影響が少ない都市も存在するが、多くの町は旅行者減少の影響を経済面、雇用面、活性化面などで受けるのではないかと考えられる。

2.日本における登録済み世界遺産
【紀伊山地の霊場と参詣道の特異性】

紀伊山地の吉野・大峯、熊野三山、高野山は、古代以来、自然崇拝に根ざした神道、中国から伝来し、わが国で独自の展開をみせた仏教、その両者がむすびついた修験道など、多様な信仰の形態が育んだ神仏の霊場であり、大峯奥駈道、熊野参詣道、高野山町石道などの参詣道とともに、広範囲にわたってきわめて良好に遺存している点において、比類のない事例である。

世界遺産への登録については、資産の内容が他に類例のない固有のものであり、国際的な判定基準に照らして、「顕著で普遍的な価値」があると認められることが条件である。

2002年7月現在、世界で730件、日本で11件の遺産が登録されているが、件数の増加に伴い、同じ国からは、同様の種類のものを重複して登録せず、国内外レベルでの資産の真の価値が問われるものである。従って、現在、登録されている世界遺産は、各国の歴史・文化・自然を代表するものといえる。

【文化的景観】

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、三重・奈良・和歌山の三県にまたがる「自然」を母胎として生まれた「山岳霊場」と「参詣道」、および周囲を取り巻く「文化的景観」を特徴としている。文化的景観とは、「自然と人間の営みによって形成された景観」というもので、一般的な文化財の枠組みを超えた、幅広い内容を含んでいる。

当地域の「文化的景観」を守るためには、単に神社や仏閣など文化財として指定されているものを保存すればよいのではなく、その基盤となっている自然もまた良好な状態で維持することがもとめられているのである。

【検討事例】

このような広範囲かつ資産内容の多様さにおいて、「紀伊山地の霊場と参詣道」は、他に類をみないものであるが、本項では、日本における登録済み世界遺産11件(自然遺産2件、文化遺産9件)のうち、その自然的要素において「屋久島」を、自然環境と歴史的景観という視点から「白川郷・五箇山の合掌造り集落」を、歴史・信仰・文化的伝統という面から「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を、歴史的・宗教的建造物群として「日光の社寺」の4件(「屋久島」のみ自然遺産、他は文化遺産)を、「紀伊山地の霊場と参詣道」についての考察をすすめる上で、参考になるのではないかと想定し、その概要・特徴・課題等についてまとめた。

(1)屋久島
1.所在地 鹿児島県熊毛郡屋久町 上屋久町(鹿児島県の南方約130kmに位置する)
2.登録年月 1993年12月(第17回 カルタヘナ会議)
(暫定リスト登載 1992年  日本政府推薦 1992年12月)
3.概 要 *屋久島の世界遺産登録地域は、面積107km2(島全体の約20%)
*樹齢7200年といわれる縄文杉を含む千年を超す天然杉の巨木群
*亜熱帯林から亜寒帯林に及ぶ植物が九州最高峰の宮之浦岳(1935m)を中心に海岸線から山頂まで垂直分布し、多くの固有植物、北限・南限植物が自生。ヤクザルやヤクシカ、アカコッコ等生息、豊富な昆虫類も。
4.登録基準 (自然遺産ii、iii)
ii 陸上、淡水域、沿岸・海洋生態系、動・植物群集の進化や発展において、進行しつつある重要な生態学的・生物学的過程を代表する顕著な例であること。
iii ひときわ優れた自然美および美的要素をもった自然現象、あるいは地域を含むこと。
5.IUCN(国立自然保護連合)管理区分 国立公園、原生自然保護地域、生物圏保護区
6.所有者 国(96%) 民間(4%)
7.管 理 環境省・林野庁・文化庁・鹿児島県
8.世界遺産地の海外姉妹都市提携 なし
9.ゆかりの人物 ジョアン・バティスタ・シドッチ(伊宣教師)
アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(米植物学者)
鑑真、豊臣秀吉、泊如竹(法華経高僧)
10.観光コース 1.島内一周コース
   西部林道、千尋滝、大川の滝、ガジュマル公園、平内海中温泉、
   ヤクスギランド、白谷雲水峡谷等
2.登山コース
   縄文杉ルート・花之江河・宮之浦岳ルート
※周遊観光バス
   ホテル→千尋滝→宮之浦港→志戸子ガジュマル等
(3コース・運行は夏期のみ・予約制)
11.観光施設等 屋久杉自然館、屋久島環境文化村センター、屋久島世界遺産センター
屋久島森林環境保全センター、自然林養林ヤクスギランド
屋久島環境文化研修センター、上屋久町歴史民俗資料館
石楠花の森公園、塚崎タイドプール水族館
旅館・民宿等 約80軒、青少年旅行村等キャンプ場 4ヵ所
登山者用避難小屋 6ヵ所
12.主な年間行事・祭り 石楠花登山 (6月第一日曜日) 
屋久島夏祭り (7月)
屋久島ご神山祭り (8月第一土、日曜日)
原生林体験ウォークラリー (11月第二土曜日)
13.地場特産品・伝統工芸品 (鹿児島県) 大島紬・川辺仏壇・琉球漆器・薩摩錫器・薩摩焼・蒲生和紙
(屋久島)  屋久杉製挽物・無垢物家具・胃腸薬(我神散)等
14.観光についての留意事項 *来島者マナーガイド策定
*登山届(入山の際は、必ず届出提出。登山用地図。地形図等携行)
*屋久島は1000mを超える山が40座以上もあり、頂上も1つではない。川は途中で滝になっていたり、森や茂みも深い。また、非常に多雨で、道を見失えば遭難の危険も。登山道から外れて植物や湿原を踏み荒らさない。
*動植物や土石を採取しない。サル等の野生動物に餌を与えない。ペットを連れない。
*キャンプ指定地以外でのキャンプ禁止。ゴミの持ち帰り運動。
15.交通アクセス 飛行機
   東京−鹿児島(110分)
   大阪−鹿児島(70分)
   福岡−鹿児島(40分)
   鹿児島−屋久島(40分)
ジェットフォイル高速船
   鹿児島港−宮之浦港(2時間)(※フェリーは4時間)
   鹿児島港−安房港(2.5時間)
16.問題点 観光客のゴミやふん尿被害
17.解決策 廃棄物を極力出さない、ゼロ・エミッションの地域づくり
18.危険因子 火災・台風
19.課 題 入山料
(2)白川郷・五箇山の合掌造り集落
1.所在地 岐阜県大野郡白川村、富山県東栃波郡平村、上平村
(庄川上流の日本有数の山岳・豪雪地帯)
2.登録年月 1995年12月(第19回 ベルリン会議)
(暫定リスト登載 1992年  日本政府推薦 1994年9月)
3.概 要 *岐阜県と富山県の3集落(白川村荻町、平村相倉、上平村菅沼)にある国内では珍しい大型の木造家屋89棟の「合掌造り」等と集落の歴史的景観を形成する周辺の自然環境が対象地域(約68ha)
*当集落は、日本有数の豪雪地帯にあり、釘やカスガイを用いない建築様式、板壁の使用、年中焚かれる囲炉裏の煙による防虫効果等、厳しい地形と気候風土の中で培われた独自の生活生産活動の知恵が、「日本の心のふるさと」ともいえるノスタルジアを醸し出し、独特の文化を形成している。
*当地域は、合掌造り集落がまとまって残り、良好に保存された周囲の自然環境と共に、かつての集落景観を保持する3集落の普遍的価値が評価された。
*意義深い点は、現在も、人々が生活の場として暮らしている民家群が、人類の遺産として認められたことである。
4.登録基準 (文化遺産iv、v)
iv 人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体、あるいは景観に関するすぐれた見本であること。
v ある文化(または複数の文化)を特徴づけるような人類の伝統的集落や土地利用の一例であること。特に抗しきれない歴史の流れによってその存続が危うくなっている場合。
5.分 類 建造物群・歴史的農村集落・民家
6.所有者 民間
7.管 理
8.世界遺産地の海外姉妹都市提携 岐阜県白川村…ビストイア(伊トスカーナ州)
9.ゆかりの人物 ブルーノ・タウト(独建築学者)、内島為(帰雲城)、金森長近
10.観光施設等 (白川郷)
  白川郷旧遠山家民俗館(国指定重要文化財)、和田家(国の重要文化財)
  野外博物館合掌造り民家園(県指定重要文化財)
  合掌造り焔仁美術館、合掌造り生活資料館、どぶろく祭りの館、明善寺郷土館
(五箇山)
  村上家(国指定重要文化財)、岩瀬家、五箇山民俗館、五箇山生活館
  相倉民俗館、平村郷土館、和紙の里、塩硝の館、こきりこ唄の館
11.主な年間行事・祭り (白川郷)
  初午・白川郷合掌造りライトアップ (1月〜2月)
  かってこ祭り (2月下旬)
  合掌屋根葺替え (4月下旬)
  どぶろく祭り (9月・10月)
  一斉放水 (10月最終日曜)
(五箇山)
  春祭り (4月下旬)
  平家まつり麦屋踊り (9月23,24日)
  こきりこ祭り (9月25,26日)
12.地場特産品・伝統工芸品 (白川郷) 山菜・しんがいそば・栃もち・木工品・わら細工・草木染め
(五箇山) ささら・木工品・和紙・地酒三笑楽・漬物等
13.観光についての留意事項 (白川郷)
*見学可能家屋は明善寺のみで、他に野外博物館の合掌造り民家園が荻町集落の対岸にある。
*合掌造りは、火に弱い建物なので、タバコの火等への注意が必要。
(五箇山)
*茅葺きの木造家屋であるため、平村相倉、上平村菅沼の両集落内禁煙。
*駐車場が手狭で、アプローチが国道156号線と304号線に限られるため、観光シーズンにマイカーで混雑。
14.危険因子 地震・火災・台風
15.課 題 *集落の景観維持及び地域振興
*世界遺産登録後、急激に観光客が増え、狭い集落に連日マイカーや観光バスが押し寄せ、地元住民の生活に影響。プライバシーの侵害や観光客とのトラブルへの対処
*世界遺産化が単なる観光振興の目的として扱われるのでなく、「人類全体の遺産として、損傷、破壊の脅威から保護し、保存していく」という世界遺産条約の本来の目的と意義を再認識する必要。
(3)琉球王国のグスク及び関連遺産群
1.所在地 沖縄県那覇市 国頭郡今帰仁村 中頭郡読谷村 中頭郡勝連町 中頭郡北中城村
中城村 島尻郡知念村
(日本列島の最南端に位置する島嶼)
2.登録年月 2000年12月(第24回 ケアンズ会議)
(暫定リスト登載 1992年  日本政府推薦 1999年9月)
3.概 要 *琉球王国は1429年に成立し、1879年に沖縄県設置によって日本となるまでの450年間にわたり、日本の南西諸島に存在した王制の国で、中国をはじめ、日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通じて、海洋王国へと発展した。
*琉球王国のグスク及び関連遺産群は、「今帰仁城跡」等の9資産で、その中には、重要文化財2棟、史跡7、名勝1が指定されている。
遺産登録面積は、核心地帯面積54.9ha、緩衝地帯面積559.7ha、合計614.6ha
*当遺産群は、琉球が王国への統一に動き始める14世紀後半から、王国が確立した後の18世紀末にかけてつくられた琉球独自の特徴を表す文化遺産群。中国・日本・朝鮮・東南アジア諸国と交わりつつ成立した「琉球王国」という独立国家の所産であり、独自の発展を遂げた特異性をもつ。
※沖縄では「城」をグスクと読むが、本土でいう「城」とは異なり、必ずしも武将のいた場所を意味しない。グスクには、必ず「霊地」としての役割があり、地域の信仰の場であった。
4.登録基準 (文化遺産ii、iii、vi)
ii ある期間、あるいは世界のある文化圏において、建築物、技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に大きな影響を与えた人間的価値の交流を示していること。
iii 現存する、あるいはすでに消滅してしまった文化的伝統や文明に関する独特な、あるいは稀な証拠を示していること。
vi 顕著で普遍的な価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連があること。(極めて例外的な場合で、かつ他の基準と関連している場合のみ適用)
5.分 類 遺跡、建造物群、モニュメント
6.世界遺産地の海外姉妹都市提携 那覇市−福州市(中国福建省)、サン・ビセンテ(ブラジル サン・パウロ州)
ホノルル(米 ハワイ州)
7.ゆかりの人物 尚円王、尚巴志、尚真王、尚寧王、護佐丸、阿麻和利、清朝康熙帝、程順則、蔡温、謝花昇、比嘉秀年、當間重剛、大城立裕、山之内漠
8.観光コース (首里城公園観光コース)首里杜館→守礼門→園比屋御嶽石門→歓会門→瑞泉門→漏刻門→広福門→奉神門→御庭→番所→南殿→正殿→北殿→右掖門→久慶門
9.観光施設等 沖縄県立博物館、沖縄県公文書館、今帰仁村歴史文化センター
読谷村立歴史民俗資料館
10.主な年間行事・祭り 沖縄花のカーニバル (1月)
名護さくら祭り (1月)
清明祭(シーミー) (4月)
ハーリー(沖縄各地) (5月)
エイサー祭り(沖縄各地) (8月)
糸満大綱引き (9月)
那覇祭り (10月9〜11日)
首里城祭 (11月1〜3日)
読谷陶器市 (12月)
11.地場特産品・伝統工芸品 紅型・染色・織物・漆器・陶器・サンゴ加工・琉球ガラス・皮革等
(伝統芸能)琉球舞踊
(※「組踊り」は18世紀の琉球王府で、冊封使を歓待する饗宴の場で生まれた国の重要無形文化財)
12.観光についての留意事項 *区域内禁煙
*植物の伐採、採取、並びに土地の形質の変更不可
13.問題点 財政上の予算措置
14.課 題 *歴史的風致景観保全との共存、調和
*琉球古来の自然崇拝・祖先崇拝についての考察
(4)日光の社寺
1.所在地 栃木県日光市
2.登録年月 1999年12月(第23回 マラケシュ会議)
(暫定リスト登載 1992年  日本政府推薦 1998年6月)
3.概 要 *本地域は、二荒山神社、東照宮、輪王寺及びそれらの境内地からなり、その中には、陽明門や大猷院等の国宝9棟、神橋等の重要文化財94棟の計103棟の建造物群が含まれている。
*遺産登録面積は、核心地帯面積50.8ha、緩衝地帯面積373.2ha、合計424ha
*登録遺産は、17世紀の徳川幕府の祖を祀る霊廟がある聖地として、諸国大名の参拝をはじめ、歴代の将軍の参拝や朝廷からの例幣使(毎年決まった時期に奉幣に派遣される特使)の派遣、朝鮮通信使の参拝等が行われ、江戸時代の政治体制を支える重要な歴史的役割を果たした。
*建造物群周辺の山林地域は、日光の山岳信仰の聖域とされ、自然と社叢が調和した文化的景観を形成する不可欠な資産。
*「権現造り」という建築様式・日本独特の神道思想と自然環境
4.登録基準 (文化遺産i、iv、vi)
i 人間の創造的才能を表す傑作であること。
iv 人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体、あるいは景観に関するすぐれた見本であること。
vi 顕著で普遍的な価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連があること。(極めて例外的な場合で、かつ他の基準と関連している場合のみ適用)
5.分 類 建造物群、遺跡(文化的景観)、宗教的建築群(神社・寺院)、墓所
6.所有者 各社寺
7.世界遺産地の海外姉妹都市提携 日光市−パーム・スプリングス(米 カリフォルニア州)
8.ゆかりの人物 勝道上人、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光、左甚五郎、甲良豊後守宗広、狩野探幽
9.観光施設等 日光二荒山神社宝物館、日光東照宮宝物館、日光山輪王寺宝物殿
日光郷土センター、栃木県立日光自然博物館、うるし博物館
10.主な年間行事・祭り 武射祭(二荒山神社中宮祠) (1月4日)
強飯式(輪王寺) (4月2日)
弥生祭(二荒山神社) (4月17日)
日光天下祭(日光市) (4月29日)
流鏑馬(東照宮) (5月10日)
延年舞 (5月17日)
東照宮例大祭 百物揃千人武者行列 (5月18日・10月17日)
日光だいこくまつり(二荒山神社) (6月第2土・日曜日)
男体山登拝祭(二荒山神社) (8月1〜7日)
日光和楽踊(清滝) (8月)
日光山輪王寺薪能 (8月第3金・土曜日)
11.地場特産品・伝統工芸品 日光彫・日光堆朱塗・日光下駄・日光茶道具・木彫三猿・たまり漬・干瓢・湯葉
12.観光についての留意事項 *区域内禁煙(木造建造物が多いため特に留意)
*重要文化財に対する保護
13.交通アクセス 東京・上野−宇都宮(東北新幹線52分) 宇都宮−日光(JR40分)
浅草−東武日光(東武日光線特急スペーシア103分)
東北自動車道(浦和IC 約1時間)
14.問題点 慢性的な交通渋滞
15.危険因子 地震・火災・風水害・落雷
16.課 題 *日光杉並木の景観と保護
*継続的な保存・保全への取り組み
*特に木造建造物への配慮
(5)検討事例における課題抽出

自然遺産として登録されている「屋久島」では、環境との共生が大きな課題である。ゼロ・エミッションの推進、廃棄物を極力出さないことと観光客への対処、登山者のマナーの徹底、湿原や動植物の保護がもとめられている。

自然環境と歴史的景観という視点からの「白川郷・五箇山の合掌造り集落」では、集落の景観維持とともに、実際に生活している地元住民への影響(プライバシーの侵害など)が問題である。

歴史・信仰・文化的伝統という面で、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、琉球古来の自然崇拝や祖先崇拝への来訪者の理解がもとめられる。

歴史的・宗教的建造物群としての「日光の社寺」では、社寺及び付近の景観の保護とともに、比較的、東京近郊であるという地理的な面で、慢性的な交通渋滞が課題であり、地震等の災害への対処も重要な課題といえよう。

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