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地域通貨によるコミュニティの再生

第2章 地域通貨の歴史的背景

第1節 シルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell)の理論

現代の経済において、富める国、富める人と貧しい国、貧しい人、この地球上60億の人口の半数が栄養失調で苦しんでいる反面、6%の人に富の59%が集中していると言われている。多くの原因はどこに由来しているのか。

シルビオ・ゲゼル※1は、資本主義の貨幣システムにこの原因があり、貨幣システムと社会秩序に特に深い相関関係があると考えた。「貨幣の流通量だけでなく、貨幣の流通速度も管理されなければならない」「貨幣の流通は個人の気まぐれや投機家の貪欲さから自由でなければならず、管理されなければならない」とも考えた。貨幣にプラスの金利があることがこの格差を生み、プラスの金利がつくお金では、蓄財と金利により、より多くのお金があるところに集中していくというものである。貨幣の金利から開放された、すなわち、「財が時間とともに劣化していくように、貨幣もまた劣化しなければならない」として、貨幣が劣化する市場経済の構築を目標として自由貨幣(スタンプ貨幣、消滅貨幣)を提唱した。物と等価である貨幣であれば時間とともに減価するはずである、ということから、プラスの金利よりむしろマイナスの金利により減価し、蓄財しない貨幣を目指した。これにより、人体の血液のごとくお金が回ることになり、お金が貯め込まれないことになる。投資先もプラス金利ではお金が増殖し、利益が得られるものにのみ投資され、長期的に低収益しか上げない農業、林業保護へ投資されない。しかし、マイナス金利下では長期的に価値あるものに投資される。プラス金利下とは逆に長期的に価値あるもの、即ち、農業、林業等エコロジカルな分野への投資が行われ、環境等が保護されることになる。

※1:シルビオ・ゲゼル(1862〜1930)

1862年3月17日にドイツライン地方のマルメディ近郊のセント・ヴィートで9人兄弟の7番目として生まれる。1996年アルゼンチンに24歳で渡航し、歯科医療器具販売の実業をする傍ら、「事態の本質」「貨幣の国有化」を刊行し、貨幣の重要性を訴えた。1897年に「現代商業の要請に応える貨幣の適用とその管理」を著し、自由貨幣の適用方法と実業家としての貨幣の重要性を説いた。また、アルゼンチンのデフレ政策を見抜き「アルゼンチンの通貨問題」を刊行した。1900年スイスのレゾート・ジュネヴィ−に移住し、6年間晴耕雨読の生活を送った。アルゼンチンにいた弟の死後、再度アルゼンチンに渡った後、1911年にドイツにもどり、1916年「自然的経済秩序」を刊行する。各界から賞賛を受ける。

一躍有名になった彼は、1919年ランダウアー政権の財務担当人民委員(大蔵大臣)として入閣するが、1週間後、共産主義者によってランダウアーが殺害され政権が崩壊してしまった。晩年は文筆活動に専念し、数々の著述を残しており、特に彼の利子についての理論は、ケインズも賞賛している。1930年3月11日にベルリン近郊のエデンで突然肺炎にかかり他界した。

第2節 1930年代の世界大恐慌時代の地域通貨

1920年代のアメリカにおいて消費財の飽和感より資本家による設備投資が控えられ、お金は株式投機へとシフトし、空前の株式投資ブームとなったが、1929年10月24日にニューヨーク証券取引所の株価が大暴落し、これが世界に飛び火して世界大恐慌になった。失業者の増大、企業、銀行の倒産が相次いだ。

このようななかにあって、ヨーロッパ、アメリカでゲゼル理論を実践するいくつかの地域通貨が誕生した。

第1項 シュヴァーネンキルヘンの「ヴェーラ」

ドイツのバイエルン州のシュヴァーネンキルヘン(人口500人の石炭鉱山と農業の村)、恐慌のあおりで村の経済的基盤であった石炭鉱山が閉山に追い込まれた。鉱山労働者は失業に追い込まれた。炭鉱のオーナーヘベッカーが、炭鉱再開のために4万ライヒスマルクを借り、これを担保に「ヴェ−ラ」という地域通貨を発行した。労働者に3分の2を「ヴェーラ」で3分の1をライヒスマルクで給料を支払った。ヴェーラは毎月額面の2%のスタンプを購入して添付しなければ使用できないものであったが、当初村の商店における使用の交渉がうまくいかなかったために、ヘベッカーは自分で日常品を仕入れ「ヴェーラ」で購入できるようにした。この店に従業員が殺到したのをみた村の商店も「ヴェーラ」を扱うようになった。卸業者、生産者にもヴェーラで支払うことが出来るようになり、生産者はヴェーラで石炭を購入したため、石炭鉱山が活況を呈し、炭鉱労働者の雇用が増大し、町が活気を取り戻した。この動きは周辺の町に影響し、不況で苦しむドイツの話題となった。しかし、1931年2月に中央銀行はライヒスマルクに対する脅威から禁止命令を出したために廃止に追い込まれた。

第2項 ヴェルグルの「労働証明書」

1930年の世界恐慌は小さな町オーストリア・チロル地方のヴェルグルでも人口4500人中500人が失業し、1000人が失職前の状態であった。この町の町長ウンターグッゲンベルガーが、シルビオ・ゲゼルの理論を実践してみることにした。借り入れた32,000オーストリア・シリングを担保に「労働証明書」を発行し、町は道路整備などの公共事業により失業対策をおこない、賃金の半分を「労働証明書」で支払った。これは税金、商品購入に使えた。毎月額面の1%分の切手を貼らなければ使用できない決め事があり、手元に置いておくと損をする仕組みがあったため使用が促進された。公共事業のおかげで町は整備され、税金の滞納もなく完全雇用が達成された。オーストリアの200もの町でこのシステムを活用しようとする機運が各地で高まったため、中央銀行の通貨システムを乱すという恐れのため禁止された。このため失業率30%の町になったという。

第3項 米国のスタンプ通貨

1930年代の世界恐慌から抜け出すことから地域通貨が各国で盛んに生まれていった。特にスタンプ通貨が、米国で盛んに実施されていた。当時エール大学教授であったアーヴィング・フィッシャーはオーストラリアのヴェルグルの労働証明書について調査し、不況脱出のためにはヴェルグルモデルが必要と考え、スタンプ通貨の理論的な支柱となった。

米国で使用された数千の地域限定通貨を網羅したカタログも出版されたという。

1933年2月にスタンプ通貨の法案化の動きもでてきて、フィッシャー教授は当時の財務次官ディーン・アチソンと何度も会談し行政からの支援を取り付けようとした。スタンプ通貨こそ大恐慌から脱出できる唯一の手段であることを説いた。これを聞いたアチソンは、当時著名な経済学者ラッセル・スプラークに助言を求めた。彼の意見も「大恐慌から脱出できるであろう」というものであったが、「非中央集権化する影響があるため、大統領と協議した方がよい」と進言した。

ルーズベルト大統領は、金融体制再建公社や連邦政府による大規模な雇用創出プログラムなどにより中央集権的な解決策を発表していたため(ニューディール政策)、大統領令によって「緊急通貨」を禁止した。

第4項 「WIR(ヴィア)」銀行

先に見てきたように、1929年の世界恐慌当時、世界の各地で不況脱出のために地域通貨が導入された。その当時から現在までに残っている唯一の地域通貨が、スイスのWIR(ヴィア)である。当然、スイスにおいても例外ではなく、この世界恐慌が襲った。1934年にチューリッヒで16名のメンバーによって開始され、住民、中小企業のメンバーを増やし、現在も続いている。ベルナルド・リヒターによれば、三つの興味点を上げている。一つは、近代西洋世界において継続する最古の補完通貨制度であること、二つめは、補完通貨制度が、最も保守的で抜け目のない資本主義国家スイスといえども必要であること、三つめは、補完通貨制度が尊敬すべき規模に成長したことである。WIR(ヴィア)とは、ドイツ語で「我々」と経済相互サポートサークル(Wirtschaftsring)の頭文字からきている。

時代により変化しながらも、現在も中小企業がスイスフランを使用せずに仕事を与え合い取引を活発にしようとするシステムとして成功している。

ゲゼル理論のように減価する貨幣ではなく、金利のつかない貨幣となっている。

参加者は、入会金、年会費、各取引に対する手数料と普通銀行等と同額の口座手数料をスイスフランで支払うことになっている。1ヴィア=1スイスフランに固定されている。

WIR銀行は、会員企業が提供する膨大な商品カタログを年4回発行しており、会員は必要なものを発注し、WIRで支払いを行う。支払い方法はカタログに表示されており、100%、30%、50%というように一部フラン建てで行う場合もある。

1995年に、スイスフランとWIRの両方の支払いができるカードが発行された。スイスフランはクレジットカード機能、WIRはデビットカードの機能をもっている。

WIRを手に入れる方法は、WIR参加者の誰かに財・サービスを売ることや、WIRクレジットの融資を受けることである。

第3節 1980年〜90年代の地域通貨の勃興

資本主義社会の貨幣システム下において、持続的な経済成長をするために投資される。しかし、一方で、社会や環境への負荷は非常に大きくなっている。お金に金利が着く限り、富が富を生み、債務はさらに債務を生むために、いずれ破産へと導かれる。限りなく成長を続けていくとき、債務者はいずれ破産する運命にあるだろう。事実、発展途上国において経済危機に見舞われていることや、欧米においても企業の倒産や失業者の増大、環境破壊等が引き起こされてきている。

このことに対して、地域内で失業対策、環境保護、コミュニティの再生を図る運動が活発になった。地域内の失業者やインフレ等から生活を守るためや、崩壊したコミュニティの再生のツールとして1930年代の地域通貨と違った地域通貨が再度息を噴き返してきた。

第1項 タイムダラー

1980年の初期に、弁護士のエドガー・カーン博士夫妻が考案したものが「タイムダラー」である。

相互扶助システムとしてサービスを受ける評価基準をみんなが等しく持っている時間で測り、コミュニティの再構築の手段として活用した。「できること」、「して欲しいこと」1時間のサービスを1点とし、自分が貯めた点数でサービスを受けることができる。

タイムダラーの交換基準は、サービスの程度にかかわりなく1時間=1点としている。これは、手助けをするようなサービスによって得られる精神的喜びの方が点数を得ることよりも重要であるという価値観から考案されたためである。

市場経済の下で経済価値が無いと考えられている地域における助け合い、思いやり等の交換を正当に評価しようとしている。

1987年、ある財団の助成金を得てアメリカ国内の6ヶ所のモデル地区で在宅支援プログラムとしてタイムダラーは発展していった。また、異世代の交流やタイムキ−パ−によるサービスのマッチングのコーディネーターを作り出し、更なる発展を遂げてきている。点数は他人や団体へも寄付ができる。いわゆる時間預託ができる。

アメリカはもちろん、イギリスなど海外において活動されている。時間預託制度について、日本では「さわやか福祉財団」の「ふれあい切符」が良く知られている。

第2項 LETS(Local Exchange Trading System:地域交換交易システム)

1983年カナダバンク−バ−島の人口約5万人のコモックスバレ−の小さな町コートネイのマイケル・リントンが考案したシステムである。

コートネイはアメリカの空軍基地と材木業を経済基盤としていたが、1980年代にはいって、基地の撤退と材木業の衰退による工場閉鎖により失業者が増え深刻な不況に陥った。不況により公的資金量が減ったために、これを打開すべくマイケル・リントンは補完通貨として自分たちの通貨を作り、これを流通させることにより、地域経済の活性化のみならず、コミニュニティの住民全体の相互信頼関係の形成をも目指した。

LETSに参加するには年会費と月会費を支払って事務局に登録し口座を開設する。通貨の発行形式は記帳形式であり、ゼロ勘定から開始できる。会員はお互いに財やサービスを自由に当事者間で決め、通貨を発行する(ミューチュアルクレジット:相互信用通貨)。通貨を受け取る側は+に、支払い側は−として通帳に記入される。「提供したい財、サービス」と「提供して欲しい財、サービス」のリストは会報やホームページで公開される。

利子がつかず、全体としてプラスマイナスゼロとなり、インフレとは無縁の通貨である。通貨をもたずに取引ができる利点がある反面、取引ごとに事務局への報告が必要であり、経済効果重視型のLETSではあまり広がらない欠点がある。

1985年にワシントンで開催されたThe Other Economic Summit(G7に対抗して開催された「もうひとつの経済会議」)においてリントン氏がLETSを紹介したことから、イギリスのコミュニティ活動家や環境保護主義者がこれに注目したため、イギリスをはじめフランス等でコミュニティ指向型LETSが広まった。

<コミュニティ・ウエイ>(「第3章 第2節 第1項(4) 4.コミュニティ・ウエイという考え方」参照

  • 個人間の取引で始まったLETSであるが、考案者のリントン氏は更に発展させて、地域の企業やNPOにも地域通貨を広める、所謂ビジネスとノンプロフィットを如何に結びつけるかという仕掛けがコミュニティ・ウエイである。
  • 日本では東京渋谷の地域通貨「アースデイマネーr」にこの方法が取り入れられている。
第3項 イサカアワー(Ithaca HOURS)

コーネル大学を中心とした地方学園都市ニューヨーク州トプキンス郡イサカの生協組合のスーパーマーケットから1991年、ポール・グローバーによって「イサカアワー」という地域通貨が誕生した。

1990年ごろ日本ではバブル最盛期であったが、アメリカでは経済が低迷し、不況と失業に苦しんでいた時期であった。自分達の通貨で自分達を雇用するということからイサカアワーが提案されたが、現在では、地域経済の活性化、環境保護等を目的としている。

イサカアワーは、1イサカアワー=10ドル(イサカ地方の1時間平均賃金)とし、通貨は紙幣形式で2アワーズ、1アワー、1/2アワー、1/4アワー、1/8アワーの5種類の紙幣がある。

通貨の発行量、発行時期については、住民から選ばれた9人の評議委員からなるイサカアワー管理委員会(Ithaca Reserve Board)で決定される。

イサカアワーに参加したい市民は、機関紙「HOUR TOWN」の申し込み書に、提供できる財、サービスを記入して委員会の事務局に提出する。入会金1ドルに対して1アワーが発行される。

通貨は、財やサービスだけでなく、特定の銀行でローンも組むことができる。また、農業を助けるために有機農法を行っている小規模農場にイサカアワー委員会が寄付をし、作物を先買いするプロジェクトも運営している。

第4節 日本における地域通貨の動向

1987年から始まったアメリカの「タイムダラー」と同じように助け合いを目的とした、「ふれあい切符」(時間預託制度)が1992年(平成4年)に財団法人さわやか福祉財団から発行された。この「ふれあい切符」には2つの源流がある。一つは、1973年(昭和48年)に大阪で誕生した「ボランティア労力銀行」であり、もう一つは1982年(昭和57年)に東京都で始まった「暮らしのお手伝い協会」である。前者は、無償の「ふれあい切符」であり、後者は有償「ふれあい切符」である。1995年(平成7年)には「タイムダラー」のシステムを導入した地域通貨、愛媛県関前村の「だんだん」が発足しているが、1990年初期においては、地域通貨という概念はあまり一般的ではなかった。

しかし、1990年当初からのバブルの崩壊、1995年の阪神淡路大震災に係るボランティア活動への認識等、日本経済の悪化、失業率の高さ、危機管理体制の脆弱さ等、日本社会が戦後ひた走ってきた「大量生産・大量消費・大量廃棄」の制度疲労が浮き彫りになり、これによってコミュニティ内の助け合いや地域経済の衰退等失ってきたものがたくさんある。人々は、「この社会はどこかおかしい」と思う人が多くなってきた。

1997年(平成9年)に、加藤敏春氏(現、経済産業省関東経済産業局総務企画部長、東京大学大学院総合文化研究科客員教授、国際大学グローバルコミュニケーションセンター教授)が「エコマネー」構想を発表し、1999年(平成11年5月4日NHK-BS放送)に「エンデの遺言」が放送され、根源からお金を問うことから「地域通貨」を大々的に取り上げた。このことが、各地に「地域通貨」を立ち上げるきっかけとなり、一気にひろがりを見せてきている。約170程度各地で地域通貨が実施されているといわれている。

国内の有名な「地域通貨」については第3章で記述する。

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