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世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」視察調査報告

主任研究員  黒川 久生

概要

研修期間 平成14年11月22日(金)〜12月4日(水)(13日間)
研修先 スペイン、フランス

はじめに

和歌山県と三重県・奈良県は、「高野山」「吉野・大峯」「熊野三山」の霊場と各霊場を巡る参詣道を「紀伊山地の霊場と参詣道」として、平成16年6月にユネスコ世界遺産への登録をめざし、書類作成等の準備作業を進めているところである。「紀伊山地の霊場と参詣道」は、平成13年4月に世界遺産暫定リストに登録され、平成15年1月には日本政府からユネスコ世界遺産センターへの推薦書が提出されている。

当研究所では、この世界遺産登録が実現した場合、和歌山県勢の活性化にどのような効果や影響をもたらすかを、平成14年度から15年度にわたり自主的に研究することとしており、その一環として、すでに世界遺産に登録されている類似的な事例を視察調査することとなった。

世界遺産の中から類似的な事例として選定したのは、宗教的背景を持つ巡礼の道として広範囲に世界遺産に登録されているスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とその聖地として世界遺産に登録されている「サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)」および同じくフランス側の巡礼路となる世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」である。

視察調査は昨年の11月下旬から12月初旬にかけて行った。具体的事象の比較等による分析や検討は今後の自主研究で行っていくこととし、ここでは現地の状況を紀行文的にまとめることとする。

平成15年3月

1 世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とは

キリスト教12使徒の一人である聖ヤコブ(スペイン語名サンティアゴ)の墓が9世紀初頭、スペイン北西部サンティアゴ・デ・コンポステーラで発見され、それ以来、ローマ、エルサレムと並び、このサンティアゴがヨーロッパ三大巡礼地の一つとして崇められ、キリスト教信者の心の拠り所となった。発見当時、イベリア半島の大半はイスラム勢力に占拠されていたため、この発見はキリスト教勢力のレコンキスタ(国土回復運動)の広がりを促す契機ともなり、巡礼路は目覚しい発展を遂げた。

中世にはヨーロッパ各地から年間50万人もの人が徒歩や馬車でピレネー山脈を越え、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したと言われている。巡礼者は、通行手形や巡礼証明書を持ち、巡礼のシンボルともなっている帆立貝の貝殻を提げ、水筒や杖を携えて、さまざまな思いを胸に、辛く苦しく長い巡礼の道をまさに命がけで旅したのである。

サンティアゴ・デ・コンポステーラを日本語に訳せば「星の野原の聖ヤコブ」ということになる。日本の熊野古道では、列をなして連なるその参詣の様子を「蟻の熊野詣で」と称したが、スペインやフランスでは、天の川のことを「聖ヤコブの道」と呼んでおり、星の数ほどの巡礼者達が、この巡礼路をサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう様子を現在に伝えている。

スペイン内には巡礼ルートが何本かあるが、「フランスの道」と呼ばれる世界遺産に登録されている本ルートはスペイン北部内陸を通っており、その道程はスペイン国内だけでも約800kmにも及んでいる。このルートのほかにもカンタブリア海沿いを通る「北ルート」やスペイン南部からのルートとなる「銀の道」、船でやってきた巡礼者が通ったといわれる「海の道」(現地ガイドはこのように呼んでいた)のほか数本ある。

これらの街道沿いには巡礼者のための宿泊施設としても使われた修道院、教会、病院などが多数点在し、その時代の文化、芸術、歴史の足跡を色濃く残し、現在では歴史街道として、日本の熊野古道とも姉妹道提携が結ばれている。

「サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)」は1985年に世界遺産に登録され、スペイン内にある「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は、その巡礼路と巡礼路が通過する166の市町村に点在する1800を越す歴史的建造物が1993年に世界遺産に登録されたものである。また、フランス側の4本の巡礼路は、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として、1998年に世界遺産登録がなされている。

図1 世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(スペイン・フランス)
図1 世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(スペイン・フランス)

2 視察調査ルートについて

世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に登録されている「フランスの道」は、前述のようにピレネー山脈を2つの峠から越え、プエンテ・ラ・レイナ、またはブルゴスの町で合流し、スペイン北部内陸を通り、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指すルートとなっている。

今回の視察調査ルートでは、スペインにおいて図2のように当初ビルバオから海岸線を通る「北ルート」をバスでたどり、オビエドから「海の道」を経由して、レオンの町で本ルートの「フランスの道」に合流後、巡礼の目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し、さらにスペインの西端の地であるフィステラ岬からリアス式海岸を通り、バヨナの町を訪れた。その後は、ヴィーゴからマドリードを経由し、フランスの首都パリに入り、4本ある「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」のうちの1本である「トゥールの道」の出発点を視察後、帰路に着いた。

スペイン北部沿岸を通る「北ルート」は、その道自体が世界遺産の対象となっているわけではなく、いわば巡礼のサブルートの1つとして存在したといえるものである。しかし、現地ガイドのピラール氏によれば、このルートの近郊にはアルタミラ洞窟やアストゥリアス建築などの世界遺産があり、海の幸も豊富であるため、スペイン政府は巡礼路を2回3回と訪れるリピーターの観光需要をみこんで、このルートの整備を進めているということであった。

図2 スペイン国内の巡礼路の一部と視察調査ルート
図2 スペイン国内の巡礼路の一部と視察調査ルート

3 視察調査報告

3−1 ビルバオ市
ビルバオ市街の歩道
ビルバオ市街の歩道

パリで欧州への入国審査を済ませ、スペイン北部の工業都市ビルバオ市へ飛行機で移動し、宿泊となった。ビルバオ市にはビジネス客が多く訪れるためEU各国からこのようなコミュータ機が飛んでいる。人口約38万人の都市に立派な空港があり、まさに電車やバス感覚で飛行機が使用されているようである。ちなみに70席ほどの機内は満席状態であった。

工業都市ということであるが、ビルバオ市内は物価も高くなく、落ち着きのあるきれいな町という印象であった。

3−2 サンティジャーナ・デル・マール
サンティジャーナ・デル・マールにあるレストラン
サンティジャーナ・デル・マールにあるレストラン

翌朝、19世紀後期から避暑地として開け、カジノを有しているサンタンデールの町を抜け、北スペインで最も美しい町と呼ばれる、石畳と古い石造りの家が並ぶサンティジャーナ・デル・マールの町を訪れた。

この町では一般車両の乗り入れを禁止しており、観光客は駐車場に車やバスを停め、徒歩で町中を散策している。遺跡内の古い建物を利用して、役場やホテル、レストランや商店が営業をしている。派手さはないが町全体に統一感が感じられる。

2.50ユーロ(約300円)の入場料を支払い、教会に入ると、地元の小学生が教会内の大きな古い椅子に座り授業を受けていた。古い町と地元の生活が密着していることが良くわかる光景であった。

3−3 アルタミラII

1868年に発見されたアルタミラ洞窟は、1985年に世界遺産に登録となったが、その保護のために現在は封印されている。しかし、その人気は高く、鑑賞希望者が後を絶たないため、アルタミラ洞窟のレプリカを作成し、公開しているのがアルタミラII(博物館)である。

館内は自然の洞窟を巧みに利用しながら精巧なレプリカが作成されていた。見学方法は、アルタミラIIの専属ガイドによる説明を受けながら見学するという形式になっており、見学者にレベルの高い詳細な説明を行うと同時に、地元での雇用創出に役立つ手法がとられている。

現地ガイドのピラール氏によれば、アルタミラIIの建設に対してはユネスコの補助金等はなく、カンタブリア州とマドリッドの博物館が資金を提供しているとのことで、スペインでは多くの世界遺産を保有しているため、世界遺産の登録を受けても、その処遇は国立公園と何ら変わらないものであるということであった。

また、アルタミラ洞窟が公開されていた当時の旧博物館は、4年後にカンタブリア地域の植物を集めた植物館になる予定であるらしい。

アルタミラIIの全景
アルタミラIIの全景
3−4 カンガス・デ・オニス

当地での宿泊は、ケルト人が多く移り住んだ町カンガス・デ・オニスにある、元修道院を改装したパラドール(スペイン政府の全額出資により運営されているホテルチェーン)であった。宿泊棟は新築されているが、ロビーなどは修道院の建物をそのまま利用しており、ホテル内にある教会は当時の姿のままで使用され、村人がミサに訪れるとのことであった。

パラドール内にある教会
パラドール内にある教会
コバドンガのカテドラル(大聖堂)
コバドンガのカテドラル(大聖堂)
3−5 コバドンガ

レコンキスタ(国土回復運動)発祥の地とされ、スペインの英雄・アストゥリアス王国の初代王であるペラヨ王の墓があるコバドンガを訪れた。ペラヨ王の墓はレコンキスタの砦となった洞窟の中にあり、聖なる場所として写真撮影は禁止されていた。

ここには崖の上に建つ大きなカテドラル(大聖堂)や宿泊施設があり、夏場にはペラヨ王の墓に参墓する人々で賑わい、カテドラルでは1日に3回もミサが行われるということであった。

3−6 オビエド

アストゥリアス地方の中心となるオビエドの町と、その近郊にあるナランコ山に残る世界遺産の聖堂を訪れた。

この山にある2つの聖堂は9世紀に建築されたもので、王の住まいともなったサンタ・マリア・デル・ナランコ教会とサン・ミゲル・デ・リーリョ教会である。これら2つの教会は、後のスペイン聖堂建築に大きな影響を与えた独特のプレ・ロマネスク建築様式となっている。

民家の間を通り抜け、細い山道を上っていく行程は、熊野古道への導入路を彷彿とさせるものを感じた。付近一帯には老人ホームや遊歩道が整備され、夜はライトアップもされるため、市民の憩いの場所として親しまれている。

これらの建築物は何れも規模は小さく、発掘調査前には家畜小屋等に使用されていたが、修復工事が行われ世界遺産への登録がなされたと現地ガイドから説明を聞いた。木の建物であれば、長い歴史の中で取り壊しや建て直しが行われたとも考えられるが、石の建物であるがゆえに、現在にまで当時の姿を残すことが可能であったと考えられ、石の文化の強さを実感した。ここでも、入場料を払うと聖堂内に入る鍵を現地ガイドに渡すシステムとなっていた。

サンタ・マリア・デル・ナランコ教会
サンタ・マリア・デル・ナランコ教会
教会へ向かう道
教会へ向かう道
サン・ミゲル・デ・リーリョ教会
サン・ミゲル・デ・リーリョ教会
オビエドのカテドラル(大聖堂)
オビエドのカテドラル(大聖堂)

オビエド市街では、船でやってきた巡礼者が内陸部を通る「フランスの道」との合流を目指して歩き出す「海の道」の出発点となるフランボワイヤン・ゴシック様式の大聖堂と旧市街を散策した。

大聖堂の祭壇はスペインの教会で3本の指に入ると言われているもので、その荘厳さは目を引くものがあった。現在、旧市街の82%は歩行者天国となっており、歩いて散策をしていると、その路上に巡礼路を示す帆立貝の紋章が埋め込まれているのを見かける。旧市街には全部で36個の帆立貝の紋章が埋め込まれているということである。

ここからは沿岸部を離れ、内陸部の「フランスの道」との合流地点であるレオンの町を目指すことになるため、その風景は沿岸部の緑色から大麦・小麦・とうもろこし畑の土色の平原へと変わっていった。

帆立貝の紋章
巡礼路が通る町の路上にはさまざまな形の帆立貝の紋章が見られる
3−7 レオン
巡礼路に架かるローマ橋
巡礼路に架かるローマ橋

レオンは、金鉱山を守るために騎士団が作った町であり、かつて王国の都であった町である。見るべきものが多くあるため、かつてのサンティアゴ騎士団の館を改装したパラドール「サン・マルコス」で2泊する旅程であった。

このパラドールには教会や博物館があり、2階の回廊もよく保存されていた。また、パラドールの横にはベルネズガ川が流れ、そこに架かるローマ橋のたもとにも巡礼路を示す帆立貝の道標や黄色の矢印を見ることができた。

騎士団の館を改装したパラドール「サン・マルコス」
騎士団の館を改装したパラドール「サン・マルコス」
巡礼路を示す帆立貝の道標と矢印
巡礼路を示す帆立貝の道標と矢印
美しい尖頭を持つレオンのカテドラル
美しい尖頭を持つレオンのカテドラル

レオンのカテドラルは、最も美しい尖頭をもつ建築物の1つに数えられている。またその装飾では、目を見張る程美しい152枚のステンドグラスや、巡礼姿の聖ヤコブの彫刻をみることができた。

レオン市街では、美しいロマネスク様式の天井画が残るサン・イシドロ教会や名士グズマン一家が住んでいた壮麗でエレガントなグズマン・パレス(現在は市議会の建物)、その隣にはアントニオ・ガウディの建築によるボティンビル(現在は金融機関)等の建造物を見ることができる。

カテドラルのステンドグラス
カテドラルのステンドグラス
パラドール前の巡礼者像
パラドール前の巡礼者像
修復中のサン・ミゲル・デ・エスカラーダ教会
修復中のサン・ミゲル・デ・エスカラーダ教会

また、レオンから30kmの郊外には、913年に建てられた数少ないモサラベ様式のサン・ミゲル・デ・エスカラーダ教会がある。

現地ガイドのカミノ氏によると、この教会は国の重要文化財で、5年位前から観光用として公開されはじめたとのことで、現在も修復工事が進められている。ここでは蹄鉄状のアーチや石の窓(アラバスター)を見ることができる。カミノ氏からは歴史的・宗教的背景やその価値について詳細な説明を受けた。

ちなみに、32万ユーロ(約4,000万円)近い修復費用はスペイン政府から州に予算が配布されているとのことである。また、ここを訪れる観光客はモサラベ様式がゲルマン民族調であることからドイツ人が多いとのことである。

ガウディ作の司教館(巡礼路博物館)
ガウディ作の司教館(巡礼路博物館)
3−8 アストルガ

レオンからバスで巡礼路を通り、かつて交通の要所であったアストルガを訪れた。

ここには、ローマ時代(1〜2世紀)の町の外壁が残っているほか、何世紀にも渡って建築が行われ、建築様式が織り交ざったカテドラルやアントニオ・ガウディ作の司教館(現在は巡礼路博物館)がある。

3−9 ルーゴ

アストルガから巡礼路の最後の難所といわれるセブレイロ峠を越した後、「フランスの道」から少し外れたルーゴの町を訪ね、2000年に世界遺産登録となったローマ時代(3世紀頃)の城壁を視察した。

見事に保存された城壁は、高さ10〜15m、全長は2.1kmあり、その上を歩いて旧市街を1周することができるため、ジョギングを行う人をよく見かけた。途中何箇所か補修作業が行われていた。

この城壁は旧市街と新市街を分断しているため、保護規制が強くなる世界遺産登録にあたっては、生活の利便性が悪くなるとして登録に反対する住民と、観光促進面から登録を推進したい行政側とで対立があったようである。

実際に見てみると、城壁と旧市街の民家はほぼ隣接しており、城壁を家の壁の代用として建てられた民家も散見された。世界遺産保護のため、これらの民家は改修も規制の対象とされるであろうことを考えると、今後も多くの課題を残しているのではないかと思われた。

ルーゴの城壁と新市街の道路
ルーゴの城壁と新市街の道路
ルーゴの城壁(左側が新市街、右側が旧市街)
ルーゴの城壁(左側が新市街、右側が旧市街)
サンティアゴを示す標識
サンティアゴを示す標識
3−10 サンティアゴ・デ・コンポステーラ

巡礼の最終目的地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの約5km手前には歓喜の丘(モンテ・ド・ゴソ)がある。巡礼者たちはこの丘からカテドラルの尖塔を臨んだ後、ここにある救護所で体を清めて市街地に入っていったといわれている。

あいにくの小雨と霧に阻まれ、この草原の丘からカテドラルの尖塔を見ることはできなかったが、巡礼の最終目的地に向かって歩くための黄色の矢印がはっきりと表示されていた。冬場のオフシーズンに加え、天候も悪かったため辺りはひっそりとしていた。

歓喜の丘(モンテ・ド・ゴソ)にある巡礼者像 歓喜の丘(モンテ・ド・ゴソ)にあるカトリックの記念碑 巡礼路の矢印
歓喜の丘(モンテ・ド・ゴソ)にある巡礼者像とカトリックの記念碑、および巡礼路の矢印
カテドラル(大聖堂)正面
カテドラル(大聖堂)正面
サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルと旧市街遠景
サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルと旧市街遠景

サンティアゴ・デ・コンポステーラの市街にはオブラドイロ広場を四方から囲むようにカテドラル、パラドール、州政府と市庁舎、大学の学生本部がある。

カテドラルでは栄光の門をくぐり、作法に習い柱の聖ヤコブ像に手を触れての挨拶をし、歩を進めると、きらびやかな装飾が施された金色に輝く祭壇が目に入ってきた。祭壇の後ろには、聖ヤコブの像と棺に通じる入り口があり、その入り口から階段を上り、巡礼者はまず聖ヤコブの像に後ろから抱きつき、その後階段を下りて聖ヤコブの棺にお参りするのが慣わしとなっている。

栄光の門の聖ヤコブ像
栄光の門の聖ヤコブ像
聖ヤコブ像を後ろから抱きしめる
聖ヤコブ像を後ろから抱きしめる

ミサに参加してみると、かつて長い旅を続けた巡礼者の体臭から空気を浄化するために使用された、「ボタフメイロ」という巨大な香炉を天井から吊り下げて振る儀式を体験することができた。お香の煙をあげる巨大な香炉が翼廊の端から端まで何度も振り動かされる様はまさに圧巻であった。

大きな香炉が天井から吊り下げられ何度も振り動かされる 大きな香炉が天井から吊り下げられ何度も振り動かされる
大きな香炉が天井から吊り下げられ何度も振り動かされる

広場に面したパラドールは4つの中庭を持つ荘厳なつくりであるが、かつて巡礼者のためのサンティアゴで一番安い宿泊施設や慈善病院として使用していたものを改装したものである。

当時、ここでは先着数名は3食付で無料宿泊ができたそうで、現在でも巡礼者であることが証明できる者は手厚い歓迎を受けることができるらしい。旧市街地は古い街並みをそのまま残し、市場には果物や生ハム・チーズ、新鮮な魚介類が並んでいた。

また、名物のチーズやケーキを売る土産店やシーフードを中心とするレストランなども古い建物を上手に利用し営業を行っていた。

市場の店先
市場の店先
パラドールの中庭の1つ
パラドールの中庭の1つ
3−11 フィステラ岬

サンティアゴ・デ・コンポステーラよりさらに約90km西に向かうと「地の果て」を意味する聖地フィステラ岬がある。かつての巡礼者達は、巡礼の旅の完結としてこの地を訪れ、巡礼中に使った物を燃やし、海に捨て、再生の時を迎えたのだそうである。

三方の眼下には大西洋が広がり、巡礼の旅を続けてこの地に辿り着いた中世の巡礼者達にとっては、まさに「地の果て」を感じさせるものであったであろうと同時に、またそれは「始まり」を予感させるものでもあったのであろう。

フィステラ岬近くの町
フィステラ岬近くの町
フィステラ岬と大西洋
フィステラ岬と大西洋
3−12 バヨナ
バヨナのパラドール
バヨナのパラドール

フィステラ岬からノイアを経由し、リアス式海岸と山頂の風力発電の風車を眺めながら南下し、捕鯨の港があったバヨナ(鯨の意味)の町のパラドールに宿泊した。折りしも、タンカーの座礁事故が数日前にあり、途中の海岸線では軍による重油の除去作業が行われていた。ここのパラドールもかつての要塞を改装したものであり、大砲が港に向かって並んでいた。

3−13 マドリード

翌朝、ヴィーゴの空港からマドリードに向かった。マドリードではプラド美術館を回った後、国立ソフィア王妃芸術センターで、ピカソの「ゲルニカ」を鑑賞した。

以前は銃を持った警備兵が防弾ガラスに入った「ゲルニカ」を警備していたそうであるが、現在は警備兵も防弾ガラスもなく、ゆっくりと間近に鑑賞ができるようになっていた。

しかし、マドリードでは治安が悪いためタクシーを乗り継ぐことになり、ゆっくり町中を散策することができず残念であった。唯一、夕食のレストランがマヨール広場に近かったので、夜のマヨール広場でクリスマス前の賑わいを見ることができた。

サン・ジャックの塔
サン・ジャックの塔"
3−14 パリ

帰国は、マドリードからパリ経由となっていたため、4本ある世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」のうち、「トゥールの道」の出発点であるパリのサン・ジャック(聖ヤコブのフランス語名)の塔を視察し、帰路に着いた。

ここには、かつて巡礼路の起点にふさわしいサン・ジャック・ラ・ブシュリ聖堂があったが、フランス革命により破壊され、今ではゴシック後期フランボワイヤン様式のこの塔のみが残っており、周辺は公園となっている。

この塔は、後にパスカルが気圧の実験を行ったことでも知られている。かつて巡礼者達はここに集まった後、セーヌ川を渡り、ノートル・ダム大聖堂のあるシテ島を横切り続くサン・ジャック大通りを抜けて、遥かスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指した。

「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の残り3本は、フランス中部ブルゴーニュ地方のヴェズレーにあるサント・マドレーヌ聖堂を起点とする「リモージュの道」、ル・ピュイ・アン・ヴレイを起点とする「ル・ピュイの道」、フランス南部プロヴァンス地方アルルのサン・トロフィーム聖堂やサン・ジル・デュ・ガール聖堂を起点とする「トゥールーズの道」である。

サン・ルイ島からシテ島、セーヌ川、サン・ジャックの塔方面を臨む
サン・ルイ島からシテ島、セーヌ川、サン・ジャックの塔方面を臨む
ノートル・ダム聖堂(正面)
ノートル・ダム聖堂(正面)

この他、パリでは世界遺産であるセーヌ河岸の史跡やルーヴル美術館などを訪問し、歴史的建造物や景観およびその規模に圧倒された。ノートル・ダム大聖堂では、タイミングよく日曜日のミサに立ち会うことができたが、サンティアゴ・デ・コンポステーラでのミサを経験した後のためか、洗練さや形式美は感じられたが、宗教を越えた圧倒的なエネルギーや迫力というものはあまり感じることはできなかった。

ルーヴル美術館
ルーヴル美術館

地下鉄等の交通網が充実しており、観光には事欠かないパリではあるが、治安は悪化しているようで、観光客(特に日本人)を狙った引ったくりやスリが横行しているようである。パリを半日案内してくれた現地の日本人ガイドも、羽交い絞めにされているところを友人に助けられたと語っていた。そんな中、日本人の高校生と見られる幾つかの小集団が、無防備にバックをぶら下げて町中を歩き回っている姿を度々見かけた。国際化の進む中、若いうちから海外に積極的に出て行くことには賛成であるが、それと同時に最低限の自己防衛は身に付けるべきであろうと感じずにはいられなかった。パリ市街でも、シャルル・ド・ゴール空港でも、本当に多くの日本人観光客を見かけ、観光地としてのパリの集客力を見せ付けられたが、パリが今後も観光地として集客を行うためには、治安の悪化に対して対策を講じる必要があるのではないかと思われた。

4 おわりに

スペインでは、史跡等を訪問し説明を受けるには、必ず現地ガイドを雇わなければならないことになっている。このシステムは、訪問者に対して史跡に関する一定レベル以上の正確な説明を行い、より深い理解を促すことによって、その史跡を訪問したことの満足感を向上させる狙いがあると思われる。また同時に、このシステムは地元の雇用創出ニーズをも満たすものである。

これらのシステムを検証すると、スペインが観光資源を大切に扱いながら、雇用を生み出す産業として観光を重要視していることがうかがえる。少なくともスペインにおいては、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は宗教の道であると同時に、古くからの外貨獲得のための国際的な観光の資源でもあった。

その長い国際観光の歴史を考えると、スペインの観光産業は成熟した産業であり、そのシステムにも学ぶべきものが多くあると思われる。

今回の視察調査は、「紀伊山地の霊場と参詣道」と世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を比較することを目的として行ったが、ヨーロッパの石の文化に対する日本の木の文化、キリスト教を初めとする一神教の文化に対する自然崇拝と神道・仏教等が絡み合う多神教の文化が、海外からの観光客にはどのように写るのだろうかということが常に頭の中に残るものとなった。

また、巡礼路に綺羅星のように多数点在する規模の大きな史跡や、歴史の途中において他の目的に使用されながらも朽ちることなく存在する石の建物・石の文化を羨望をもって眺めたことも多かった。今後の自主研究では、今回の視察調査で得た視点等を大いに活用し、より深い比較や検討に役立てていきたいと考えるところである。

最後になりましたが、今回スペインにおいてツアーに同行させていただいたツアー参加者の皆様、また視察旅程全般にご尽力いただいた朝日新聞事業株式会社・奈田様、同ツアーコンダクター・蓼沼様にこの場をお借りして御礼申し上げます。

参考文献一覧

  • 「ユネスコ世界遺産 10 南ヨーロッパ」 (ユネスコ世界遺産センター監修) 講談社
  • 「スペイン巡礼の道を行く」 (米山智美・文 古財秀明・写真) 東京書籍
  • 「サンティアゴ巡礼の道」 (檀ふみ、池田宗弘、五十嵐見鳥ほか著) 新潮社
  • 「世界歴史の旅 スペイン」 (関哲行・編 中山瞭・写真) 山川出版社
  • 「地球の歩き方 23 スペイン2002〜2003年版」 (「地球の歩き方」編集室著作編集) ダイヤモンド・ビッグ社
  • 「フランス世界遺産の旅」 (山田和子・文 21ST CENTURY LIBRARY・写真) 小学館
  • 「地球の歩き方 A07 パリ&近郊の町 2002〜2003年版」 (「地球の歩き方」編集室著作編集) ダイヤモンド・ビッグ社

(2003.3)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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